7月30日の日記
2005年7月30日
とある漫画批評を見てて思ったことだけど「素直に面白い」とか「純粋に楽しめる」って言葉って、相当胡散臭いような気がしてならない。なんだか昔に現国の授業でやった「ありのままに」って言葉の嘘臭さと同種。
単純明快なエンタメ作品に良く使われる形容だけど、なら勝気なヤクザ女が落ちぶれてウンコまみれで死んでいく様をせせら笑って楽しむような陰惨なマンガ(果たしてそんなマンガあるのか知らんが)が不純なものなのかと言えばそのような種類のマンガこそ「他者の不幸を幸福に感じる」という人間の本能的な機能に極めて忠実なマンガなのであって言い様によっちゃそういう作品だって純粋と言えるのではないか。そもそも人間自体がドロドロした複雑な機構の集合体みたいなもんなのに、そこから単純明快なものなんて何かしらの混ぜモノでもしなきゃ生まれっこない訳で、むしろそういう「ただ単純に面白い」作品の方が不純とも言えるんじゃないの、って気がする。
まぁおそらくそのレビュー書いた人間が意図したいことってのは勿論わかるしそこまで深く考えてた訳でもないんだろうけど、少なくともそういう語彙を持つ批評家ってのは信用ならねぇなというのが俺の感想。(まぁ寺田克也に言わせりゃ自分でモノ作りもしない批評家なんてみんな信用ならないそうですが)
あと、如何に批評で「神話的構造を物語に導入してる」だの「現在の過酷な世界情勢を反映している」だの「ハリウッド的エンターテイメントの手法を絶妙に組み合わせている」だのとその面白さの訳が書かれてようとも、実際読んでつまらん作品は全くもってつまらんとしか言い様がないという事実が不思議でなりません。岩原祐二の「いばらの王」とか一巻読んだ限りじゃあそこまで先の展開が気にならないマンガも珍しいなと思ったんだけど異様にその「ストーリーテリングの巧妙さ」が褒めちぎられてる訳でビビる。
まぁ結局何が言いたいかというと、俺って好き嫌い激しいね、ってだけの話なんですけど。
単純明快なエンタメ作品に良く使われる形容だけど、なら勝気なヤクザ女が落ちぶれてウンコまみれで死んでいく様をせせら笑って楽しむような陰惨なマンガ(果たしてそんなマンガあるのか知らんが)が不純なものなのかと言えばそのような種類のマンガこそ「他者の不幸を幸福に感じる」という人間の本能的な機能に極めて忠実なマンガなのであって言い様によっちゃそういう作品だって純粋と言えるのではないか。そもそも人間自体がドロドロした複雑な機構の集合体みたいなもんなのに、そこから単純明快なものなんて何かしらの混ぜモノでもしなきゃ生まれっこない訳で、むしろそういう「ただ単純に面白い」作品の方が不純とも言えるんじゃないの、って気がする。
まぁおそらくそのレビュー書いた人間が意図したいことってのは勿論わかるしそこまで深く考えてた訳でもないんだろうけど、少なくともそういう語彙を持つ批評家ってのは信用ならねぇなというのが俺の感想。(まぁ寺田克也に言わせりゃ自分でモノ作りもしない批評家なんてみんな信用ならないそうですが)
あと、如何に批評で「神話的構造を物語に導入してる」だの「現在の過酷な世界情勢を反映している」だの「ハリウッド的エンターテイメントの手法を絶妙に組み合わせている」だのとその面白さの訳が書かれてようとも、実際読んでつまらん作品は全くもってつまらんとしか言い様がないという事実が不思議でなりません。岩原祐二の「いばらの王」とか一巻読んだ限りじゃあそこまで先の展開が気にならないマンガも珍しいなと思ったんだけど異様にその「ストーリーテリングの巧妙さ」が褒めちぎられてる訳でビビる。
まぁ結局何が言いたいかというと、俺って好き嫌い激しいね、ってだけの話なんですけど。
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